2020年の『M-1グランプリ』で、
世間の大方の予想を覆して優勝を勝ち取ったマヂカルラブリー。
ボケの野田クリスタルによる激しい動きと、
ツッコミの村上が繰り出す独特の“置き去りツッコミ”という、
類を見ない漫才スタイルで審査員と会場を圧倒した。
だがその裏で――
彼らには**“漫才じゃない”**
**“芸人が評価しない漫才師”**という
厳しい声が、同業者からさえも上がっていたのだ。
今回は、マヂカルラブリーが直面した“バッシング”とその真相を、
本人たちの言葉を交えて深掘りする。
目次
“これは漫才なのか?”と問われたM-1優勝ネタ
2020年12月。
マヂカルラブリーは決勝で**「野田が電車に乗るだけのネタ」**を披露。
舞台上を激しく動き回る野田。
それを客観視する村上のツッコミ。
結果、審査員から高得点を獲得し、
見事第16代M-1王者となった。
しかし、放送終了後からすぐに、
SNSを中心に議論が巻き起こる。
「あれはコントだろ?」
「漫才の定義を壊した」
「劇場ではウケないタイプ」
こうした**“漫才じゃない”論争**は瞬く間に拡散。
さらには同業者である漫才師やベテラン芸人までもが、
公開・非公開問わず、疑問を投げかけ始めたのだ。
芸人仲間からの“冷ややかな目線”と本音
とくに話題を呼んだのが、
マヂカルラブリーの優勝直後に爆笑問題の太田光が発した一言。
「あれは漫才じゃない。面白いけど、漫才とは言えない」
また、ナイツの塙宣之は『ラジオビバリー昼ズ』にてこう語っている。
「面白かったけど、M-1ってこういう大会だったっけ?と考えさせられた」
さらに、ある芸人のTwitterでは、
“審査の基準が変わってしまった”
“漫才師の居場所がなくなった”といった嘆きや戸惑いの声があがった。
これらの反応に対し、野田は後にこう語っている。
「別に仲良くなりたくてやってない」
「俺らは俺らのやり方で、面白いことをやる」
芸人からの評価に一切迎合しない、
野田クリスタルらしい潔さだった。
“認めない派”と“新しい笑い”を評価する派の対立
バッシングの一方で、
マヂカルラブリーを評価する芸人や文化人も少なくなかった。
千原ジュニアは自身のYouTubeチャンネルで、
「あれは完全に“令和の漫才”。文句言ってる奴が古い」
と断言。
また、霜降り明星・せいやも、
「マヂラブは革命を起こした」
「野田さんは超天才」
とM-1後に称賛を送っていた。
つまり、**“漫才観の世代間ギャップ”**がこの論争の本質だったとも言える。
従来のしゃべくり漫才に価値を置く層と、
ネタの“面白さ”そのものを軸に評価する新世代の考え方が、
マヂラブ優勝を機にぶつかり合ったのだ。
野田のストイックさと村上の“空気読み”のズレ
この論争をさらに複雑にしたのが、
コンビ内の温度差でもあった。
野田は、芸人でありながらゲーム制作・筋トレ・ラップなど
他分野でも異常なまでの努力とこだわりを見せるストイック型。
一方で村上は、フワッとした受け答えが特徴で、
周囲の空気や相方との間で緩衝材的な立ち回りをすることが多い。
『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』では、
村上がバッシングに対して「まあ仕方ないよね」と受け流す一方、
野田は何度も真剣な口調で持論を展開していた。
「“定義”が誰かに決められるって、くだらないと思うんだよ」
こうした相方同士の温度差も、
時に“噛み合わなさ”として見られてしまった側面もある。
それでも2人が崩れなかった理由
大きな逆風の中で、それでもマヂカルラブリーが
テレビや劇場で活躍を続けられたのは、
互いを信じきっている関係性があったからだ。
野田は何度もメディアでこう語っている。
「村上がいなかったら、今の俺はいない」
一方の村上も、インタビューでこう答えている。
「野田さんがすごすぎるから、俺はついていくだけ」
表面的にはバラバラな2人。
だが根っこの部分では、
“他に替えのきかない相方”であることを深く理解している。
そして今、テレビ番組・CM・ラジオといった活動を通して、
マヂカルラブリーはその“異端の面白さ”を確実に世に広げている。
まとめ
マヂカルラブリーのM-1優勝は、
ただの“勝利”ではなく、
“漫才とは何か”という問いを社会に突きつけた瞬間だった。
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「面白ければいい」
-
「型がなくても漫才」
-
「笑いに正解はない」
そんな新しい価値観を提示した彼らに、
反発が起こるのは当然とも言える。
だがその逆風すら跳ね返し、
自分たちの信じる“笑い”を貫き続ける姿勢こそが、
マヂカルラブリー最大の魅力なのだ。
今や「認められない漫才」ではない。
むしろ、「時代に合った新たな漫才」として、
彼らは歴史の中に名を刻み始めている。